龍の天廊書斎

龍火のブログ。創作小説など置いてます。

それでも肯定されたかった誰かの御話。


『生まれてきてくれてありがとう』

それが俺の覚えている限り最も確かな、そして一番古い記憶。



***

「ん…」
鉄格子の隙間から差し込む朝日で目が覚めた。

ぼんやりとする頭を振って上体を起こし、真っ先に左手の包帯を解き状態を確認する。
それは昨晩とさほど変わっていない様に見え、ほっと安堵すると同時にそんな自分にほとほと呆れ返る。


(……俺はこんなになってもまだ、自分の命が惜しいのか)

それは我ながらあまりにも情けない話で、己の愚かさに思わず自嘲の笑みが零れた。

生きていたところで死んでいるのと大差ない俺などが、そんな風に感じているだなんて。何とも馬鹿馬鹿しい。

命があろうがなかろうが、呪いが悪化していようがなかろうがどうせ、今日も昨日と同じなのだから。

俺はただ役目を果たす。
それは死ぬまで、もしくは死んでも変わらない。

(ただ道具として奉られ続けるだけだ)




***

気が付いたらかなりの時間が経っていた。
随分と長い間物思いに耽っていたらしい。

もう外では元気に鳥が鳴いている。
冬は過ぎ春が来ようとしているとはいえ、この時期のこの時分は正直まだ肌寒い。

(昼まではまだ時間がある)
俺は日の高さを確認すると再度布団の中に潜り込むと身を縮こめた。
途端心地好い温かさに包まれ、すぐさま追い払った筈の眠気がまたまとわりついてくる。
ありふれた感覚に心が落ち着く。


「……自分の体温でもやはり安心するな」
などと一人呟いてみた。
…自分の体温でも、などと言っても俺はそもそも他人の体温をまともに知らないから比べようもないのだが。



微睡み始めるととりとめもないことを考え出すのが俺の癖だ。

ここで迎える朝は何度目だろうか。
最早覚えてはいないが、それでも夢らしきものを見たような記憶すらない。

いつからここに居るのかすら最早分からない。
それだけ長い間ここに居た。
というより、繰り返される変化のない日々の渦中にある俺に常人の時間感覚など残っている訳がないからこれは致し方無い。

俺が悪い訳ではないのだが、どうしてだか少し後ろめたい気分になる。
何というか……こればかりはうまく言えない。


…ああ、今日はどこに傷を付けられるのだろうか。

いくら一ヶ所とはいえ毎日やられるのではやはり身体が持たない。
それでなくても左手だけでは傷を付けられる範囲にも限りがあるのだから。


もし空いているところがなければまだ癒えていない傷を開かれるか、傷の上から上書きされるか…どちらにしろやはり憂鬱だ。

(下手したら指を切られるかもしれないな)
頭に浮かんだのはそんなこと。
想像したくもないがかといって否定はできない実に嫌な可能性。



こうしたこと考えれば考えるほど、何故自分は生きているのだろうかという思いが増すのを感じる。


死に救いを見出だすような事ができるならとうにそうしているだろう。

ただの惰性かそれともこの環境のせいか、はたまた死後の世界など信じて居ないからなのか。
とにかく理由は分からないが俺が生きているのは何故かそんな気が微塵も起きないからだ。


(それに俺は、どちらかといえば生にすがりついている)

それは"あの言葉"が俺の中にあるから?

(…いや、違う。断じてそれはない)

短い自問自答。




大体あれが本当に俺に向けて紡がれた言葉とも限らないんだ。
聞いたことは確かにしても信じられない。
あんな言葉がこんな俺に向けられる筈が。

(…こんな、顔も見知らぬ誰かを傷付け続けている俺なんかに)

すっと俺の中を冷たい風が吹き去っていくのを感じた。

心が冷え、動きを止める。
いつもの感覚。それはすっかり慣れ親しんだ自分。


「…そうだ。
俺は道具だ。それも人を傷付けるだけの道具。
ただの道具に過ぎない俺に誰かが愛着を持つなど有り得ない。
揺らぐな。自惚れるな。おまえには必要ない」


うわ言を言うようにその言葉を動かなくなったそれに染み込ませていく。
自分に言い聞かせてというよりは他人に諭されたように受け止め、受け入れる。


(道具には要らない)
俺は静かに目を閉じる。
そして、自分などもう二度と目覚めなければいいという想いを頭のどこかで抱きながら意識を手離した。



*閉ざされた世界の中、虐げられる代わりにずっと奉られてきた青年。

彼は人として在りたいと本当は願いながらも道具としてしか必要とされない事実に歪み、そしてその歪みは矛盾を生んだ。



『………不要な人間と必要とされる道具なら、せめて俺は後者になりたい。だから』


だから、

青の王

幸せに生きることは難しい。
それはまさに薄い氷の上を歩くが如し。
いつ壊れるか分からないものを、それでも欲するのが人の性だというのなら。
それは何て哀しいことだろう。


『きっと世界に神など居ない。
居たとしても慈悲はない』

そうでなくてはおかしいのだ。

だってもしそうでないとしたら何故、自分は独りにならなければならなかったのだ。


暗い暗い闇の中、ずっと一人。
その果てしなく長い時間は彼に孤独を痛感させるにはあまりにも十分過ぎるくらいだった。


夢から目が覚めるたび世界を呪った。
とにかく憎くて仕方がなかった。

自分が理不尽に奪われたもの。
それを当たり前のように思い込み、軽んじて居られる幸せな人々が羨ましくて、妬ましくて。
正視する事すら彼には苦痛だった。

だからいっそのこと、と壊そうとしたのに、それすら道半ばで倒れ。
惨めにも穴の中に封じられた。


暴れ疲れてまた微睡むたびもう目覚めたくないと思った。
独りを実感するのは痛かった。

夢でなら彼は孤独な"青の王"ではなく、幸せな"ただの青年"で居られたから。
彼が見る夢はいつも泣きたくなるくらいに優しくて、どうしようもなく彼の夢でしかなかった。

何度も何度も吼えた。
喉が壊れ、自分の血で咽せても構わずに。
いっそこのまま血を流し尽くして死んでしまうなら、それもいいとすら思っていた。


ただただ彼は苦しかった。

その姿は既に異形と化していたしその咆哮は世にもおぞましかったけれど、こころだけは紛れもなくひとのものだったから。



優しい母さん、優しい父さん。
大好きな家族だったんだ。

母は花に詳しく、彼にたくさんの名前を教えてくれた。
父はよく、不器用にだけれど頭を撫でてくれた。

だから彼は花が好きだ。頭を撫でられるのが好きだ。
今でもずっと、好きでいる。


ささやかだけれどとても幸せな日々。
今となってはもう全て過去形でも、彼にとっては変わらない。

家族が彼の全てだった。
ひとならざる者として生きることを強いられてきた彼を守り育て、真に慈しんでくれたのは両親だけで。

他には何もなかった。
他には何も望まなかったのに。


ただひとつの小さな願いすら、世界は簡単に奪い去る。

少年は、自分達が時間をかけて積み重ねてきたものがいともたやすく粉々になる瞬間を見た。


目を何度擦ったところで現実は変わりやしない。
信頼だとか絆なんてものは、実にあっけないものだった。
それを思い知らされるには、彼はまだ明らかに幼な過ぎたのに。


そんな彼に嘲笑うように向けられた敵意。
優しかった彼らからの殺意。

両親の返り血で汚れた真っ赤な手。
笑顔で手招かれたところで、誰が行けるものか。


人の心は単純で不確か。
少年はそんな当たり前の事実を思いもよらぬ残酷な形で知らされ、絶望したのだ。


彼らを引き裂いた後、血濡れた彼は物言わぬ自らの両親を静かに抱き締める。

長い間水すら飲まず逃げ続け、喉がからからで目眩がするような状態にありながら、それでも彼の身体は涙を流した。


その晩彼はかつて両親だった屍と寄り添って眠った。
とても冷たい身体だった。
それは彼がいよいよ身体の芯から凍りつくには十分過ぎるほどの冷たさで。

遂には眠りながら流した涙すら頬を流れ落ちる前に凍る。
それは夜が寒かったからではない。
彼がそうさせたのだ。



小さき竜の子が破壊の竜へと転じたのは、ただただその大き過ぎる愛ゆえにだった。

もしかするとあの時彼を動かしていたのは、激しい憎しみというよりは寧ろ喪失感だったのかもしれない。


……今となっては彼の真実など分かりはしないけれど。

何故なら、かの地に眠るあの竜はもう二度と、目覚めることはないのだから。




***

青の王となったところで、かつて彼が愛された記憶、愛した記憶が消えることはない。
それが彼をこの世界に繋ぎ止める唯一のものであり、同時に破壊へと進ませている全てだから。


彼のこころを覆う氷。
彼自身が分厚く硬く見せているというだけであって、本当のそれは酷く薄くて脆い。





「……手に入れて失ったからこそより飢えに苦しむ。
ならばもう、手に入れようとなど思わなければいいのだと」


そうすれば苦しむことはない。
手を伸ばしすらしていないものを失くしたところで、二度とあの喪失感に支配されることはないだろうから。


その先にはかつてあの日々に感じていた愛しさも喜びも何もないだろうけれど、けれどそれでいい。

…それでよかったはずだった。





これは青の王の御話。破壊の竜の物語。


そして
『失う事が怖いから、傷付けるのが嫌だから』

そうやって自ら手を伸ばすことを諦めるような
臆病で優しくて、人間よりもよっぽど人間らしい不器用な怪物の本でもある。

いばらの姫は棺を背負う。

世の中は綺麗事で溢れているけれど、結局それは幻想でしかない。

全てのものは金で買える。
時として命すら、酷く簡単に奪えてしまうのだから。

そして京羅はそれを幼い頃から散々思い知っている。
何故なら彼女は、常にその"命を奪う"側だったからだ。

***


貢赦家は由緒ある家柄で、古くからその技術と人材を活かし多岐に渡り活躍してきた名家だ。
そして数々の栄光の全ては、その膨大な財力ありきのものなのである。


貢家が一度に動かす金はあまりに莫大な額。

その金はどこから出てきているのか。
誰もが一度は思った筈の事だが、何故かそれを追求しようとする者は居ない。



どの世界にも、決して踏み入れてはならない領域が少なからず存在するということをご存知だろうか。
貢家の財の出所はまさにそのひとつだ。

貢の家の者達が殺しの道具にされている、だなんて事をもし知ってしまえば命はない。

そう。貢家の財力の出所はそこにある。
勿論それだけではないが、最も大きな収入源は殺しなのである。

依頼されて殺し、臓器を奪うために殺し、時として邪魔な人間も殺す。
そうして得られた成果が今の巨大な貢家なのだ。

分家に属す京羅とて例外ではない。
家族を消すと脅され、兄弟ともども無理矢理駒にされた。
まだ8歳の時だった。

兄達と比べ戦闘力は劣っていたが、繰り返された"教育"により彼女は育ちつつあった。
貢本家はこの嬉しい結果にさぞほくそ笑んだ事だろう。

……いや、寧ろ彼女こそが貢の真の目的だったのかもしれない。
既に大人に近い兄弟達よりも、まだ幼く純粋な子供であった彼女を育てた方が確かに成果はあがった。

そして遂に、本人の意思など関係なく残酷な結果は出てしまった。

つまりは、『彼女こそが最も殺し屋に向いている』と。



現在京羅は貢でも破格の扱いを受けている。
ある程度の自由は許されているし、大抵のごくささやかな願いは聞いてもらえる。


裏稼業において、貢の優秀な手駒である限り。







携帯が鳴った。
聞きたくもないのに無機質な着信音は止まない。

いっそこれを壊してしまえれば、と何度思った事だろう。
けれどそういう訳にもいかない。
大切な家族を殺させる口実を作るのは御免だ。

「…………もしもし」
静かに通話ボタンを押す。

もうその声に感情はこもらない。



***

いばらに囚われ、自由を奪われた姫。

自分を殺して他人を殺しつづける彼女は、最早王子に焦がれる事もない。


「……結局全部、叶わない夢でしかなかったんだな」

分かりきっていた事のはずなのに、それでも悲しみは拭い去れなくて。



京羅は今日も棺を背負う。

哀れな道化は今日も逝く。

それは言うなれば生じた時から決まっていた運命だった。
あらゆる物語を渡る事ができる能力を有す代わりに初めから持ち得なかったもの。

彼は世界に交わらない。否、交われない。


何故なら彼は、この世界において他とは異なる性質を持つ異存在だから。

交わろうとすれば世界は彼を拒み、その存在を消す。
しかし彼は異質な存在ゆえまた生じ、蘇る。
その繰り返しだ。

傍観者以上になれなくとも構わない、と彼は思っていた。
しかしそれも始めのうちの事で、彼は徐々に自分が誰にも認められないことをどうしようもなく虚しく、また寂しく思うようになっていった。

そんな日々の中で彼の内にいつしか生まれたとても強い、しかしこの上なくささやかな『願い』はしかし、歪んだ世界によって叶えられる事はなく。
次第にそれは激しい憎しみへとその姿を変化させていった。


*どうしたって認められやしないなら、そんな世界はいっそ壊してしまおうか。

『一度でいいから認識して欲しかった……本当にただ、それだけだったんだ』

そして彼らの運命は隣り遭う。

深くて暗い洞窟の中。
彼は静かに横たわって居た。

ここに閉じ込められる以前の記憶は何故か殆どない。
激しい熱を帯びている左肩がどうなっているのかも、その原因も分からない。
身体と心はこんなにも冷えきっているというのに。

ただ、何故だか酷く疲れていて、同時に何かがどうしようもなく悲しいとだけ感じていた。

昏い昏い闇のなかに一人。
動き回ってみるも出られそうな所は見つからない……と、奥の方に何やら光が見えた。


「………カンテラ…?」
出口かと期待したが、光源の正体は照明器具だった。
少し期待外れではあったがよくよく考えてみなくてもこの闇の中で照明の存在は非常にありがたいものである。
それにやっと見つけたこの光を置いていくのがどうしてだか怖かった。

彼はしばしカンテラを見つめる。
硝子の中でゆらゆらと揺れるその赤に、ふと何かを思い出しかけたのも束の間、その何かは考える間もなくふっと霧散してしまった。




時同じくして破滅の竜に滅ぼされた街ラクルガシア。
焼け落ちた建物の下から這い出てきた瀕死の少女の瞳は"きらきらと輝いていた"。

『あの方は一体誰なのでしょう…………私達の街を滅ぼしてしまった…あの凍えるような瞳……』

自分の国を滅ぼした竜。
なのに幼い彼女の心に宿るのは、あろうことか『憧れ』であった。





*青の王と氷の姫。
彼らを結びつけるのは過去に閉ざされた記憶。

『初めまして。私の王さま』
『貴方をお慕いしておりました。ずっとずっと』

仄かに香るは。

鉄錆の臭い。



全身に赤い体液を浴びながら楽しそうに笑っている幼女が一人。
勿論、言うまでもなく全て返り血である。

彼女の名はクィッチ・ニー。
最年少にして最重要の、凶悪指名手配犯だ。

その性質はとても無垢で酷く純粋。
それと幼さ故の無邪気な残虐性を併せ持つ歪んだ娘。

彼女は殺人を遊ぶ。

楽しく遊んで、まさに飽きたらぽい、だ。
彼女にとっては人の命などただの玩具に過ぎない。


物事を正しく理解するにはあまりにも幼い彼女を矯正できるはずがない。
中には決めつけるには早過ぎだ、という者も居るかもしれない。しかし実際にそうなのだ。
いや、寧ろ遅過ぎる。

何せとうに彼女の身体には、殺人者としての技術が染み込んでいるから。




***
殺人幼女クィッチ・ニー。
彼女はとうに人の道を外れ、最早戻れない場所まで来てしまっていた。

「わたしはね、あかがいちばん好きなんだ!」

《設定・捕捉》深海症について。

深海症

正式名称は体外気圧異常症。
一般に奇病と呼ばれる病の一種。
患者数は非常に少なく、二桁居るか居ないかとされる。

その症状は極めて奇妙で厄介。
この病気にかかると気圧を異常に感じるようになり、やがて通常の環境下において生きることが難しくなる。

感覚でいうならまさしく深い海の底に沈んでいく感覚。
息も出来ず、ただ水圧に押し潰されそうになる思いをする。

よってこの病に冒された患者は大概がその苦しみに耐えられず自殺を図るか病むという。

患者専用の特殊な調整設備もあるが非常に高価なためそれを与えられ地獄のような苦しみの日々から解放される事ができる者はごくごく僅か。

治療法はおろか病気の原因すら未だ分かっていないが、患者の精神状態が影響するのではないかという説が浮上し、現在検証中である。